ライフスタイルを形作る材料でもあるのだ。かつてラルフーローレンも語っている。「僕は服をデザインするんじゃない。夢をデザインするんだ」。ポロの店舗でリネンのジェントーフラットフロントーパンツとギンガムーチェックのヤーマスーシヤツを買う男性は、ただ服を買っているのではなく、生き方をも買っているわけである。また、ファッションが大勢の熱烈なファンを虜にしてきたことには、それが妖しい美しさを伴ったアート、エンタテインメント、ビジネス、すべてがひとつに溶け合った魅力的な世界だから、という理由もある。私たちは、ファッションはそういったさまざまなものを象徴すると思っており、それらが呼び起こす圧倒的な興奮に引き寄せられるのだ。ファッションは矛盾の上に成り立っている。楽しいが、フラストレーションのもとである。創造的だが、商業的だ。人と人とを親密にするが、遠ざけもする。美しくなったような気にさせてくれる反面、確立された理想像に近づけない自分を醜く思わせる。そして、もっともっと手に入れようという気にさせる一方で、自分が持っていないものをいちいち気づかせるのだ。こうした矛盾のおかけで、大抵の人は、服に対して愛憎半ばする気持ちを抱いている。素敵な服のおかげで気分まで明るくなったかと思うと、「着るものがない」というフラストレーションに陥る。ストレス解消に服を買うのは大好きだけれど、月末にクレジットーカードの支払明細書を見るのは大嫌い。ハイヒールを履いた脚がきれいに見えるのは嬉しいが、翌朝、足にできたマメにバンドエイドを貼るのは情けない。時にこの上なく楽しい存在であるファッションだが、社会における優先順位にどれだけ歪みが生じ得るかを見せつけてくれることも多いものだ。今日、着こなし上手であれば、伝説の人にのし上がるのも夢ではない。そこそこの女優が、ただ単にデザイナースープランドのドレスでイベントに現れただけでスクリーン・アイドルの座に上りつめるのを、一体何度目にしてきたことか。