問題になったのは、全国各地にある四九か所のソーダ工場から出る五〇〇〇トンの水銀の処理である。そこで再びイトムカ鉱業所が注目されることになった。なによりも水銀についてあらゆるノウハウをもっていたからだ。こうして水銀のリサイクルをするための新たな会社が設立されることになった。これが野村興産株式会社である。野村興産は一九七三年に設立され、翌七四年八月、野村鉱業からイトムカにあるすべての技術・設備を買収し、含水銀廃棄物の処理を中心とする産業廃棄物処理業務を開始することになった。だが、すべてが順調に進んだわけではなかった。北海道が他県からの産業廃棄物の持ち込みに難色を示したのである。これを説得したのが地元・留辺薬町たった。町にしてみれば鉱山がなくなり、貴重な雇用機会が失われていた矢先の新たな企業誕生たった。それに、かつての鉱山は一度だけダムの決壊による精錬廃液の流失こそあったものの、それ以外にまったく問題を起こしてはいなかった。地元からそれほど反対の声が上がらなかった理由はほかにもある。この事業所が一般の民家から隔絶していて、二〇キロほど離れたところで人が住んでいなかったからである。こうしてイトムカは水銀の生産からリサイクル場へと姿を変えたのである。