事態を収拾するため、私は子会社である東京のタクシー会社に出向しました。それでも争議はいっこうに収まる気配がありません。父は、嫌気がさしたのでしょう。突然、石見交通をよそのバス会社に売却するといいだしたのです。私は大反対しました。バス会社というのは、地元に密着した、きわめてローカルなものでなければなりません。地元資本で、地元の人によって運営されてこそ、地元の人の便利な足になるのです。益田と無関係な人たちが経営に携われば、資本の論理のもと、利便性がどれほど損なわれるかわかりません。売却を阻止するために、私は石見交通の株を買い占めようと考えました。もちろん、私にはそれだけの資産などありません。買収資金を得るためには、どこかに融資を頼むことになります。当時の私は世間知らずで、金融機関というのは、頼めばお金を貸してくれるものと思っていました。ところが現実は厳しく、ほとんどの金融機関が融資を断ってきました。父は地元の名士でしたから、父に楯突こうとする私にお金を貸さないのは、いま考えれば当たり前の話です。それでも当時は、いい時代だったのでしょう。地元の農協のトップが、私の意見に賛同し、無担保で二千五百万円を融資してくれたのです。損得勘定を抜きに、私を信用してくれたこのトップには、いまでも感謝しています。この資金を元手に、株の買い占め資金七千五百万円をつくり、石見交通の株を買い占めたのですが、これが父の逆鱗に触れ、私は勘当をいいわたされてしまいました。父を怒らせることが、私の本意ではありません。結局、株は父に売却し、私は石見交通からいっさい身を引くことにしました。この騒動の結果、私の手元には売却代金が残りました。このお金をどう使おうかと考えたとき、思い浮かんだのが自動車教習所(自動車学校)を設立することだったのです。東京のタクシー会社に出向していた私は、東京で働きたいという島根県出身の若者に何人も出会いました。ところが彼らは、東京で生まれ育った人と比べると、どこか見劣りがしたのです。経済的にも文化的にも、地方格差がいまよりはるかに大きい時代です。無理もないこととはいえ、何らかの技術や資格を持っていないと、就職するうえで明らかに不利です。このハンデを何とか克服できないかと考えたとき、思いついたのが運転免許だったのです。当時、運転免許を持っている人は、まだまだ少数でした。運転免許を持っていれば、地方出身者でも東京の人間と対等にやっていけます。就職するときも立派な資格として認められていました。そこで、島根県に自動車教習所をつくろうと考えついたのです。
[参考サイトのご紹介]
東京都の自動車学校コヤマドライビングスクール
http://www.koyama.co.jp/